その後の広島

終戦まで

8月9日
長崎市に原爆が投下され、数万人が死亡した。これは広島に投下されたウラニウム型とは異なるプルトニウム型(ファットマン)であった。同日、ソ連が日ソ中立条約を破棄、日本へ宣戦布告し、満州へ侵攻を開始する。またこの日、広島電鉄市内線の一部区間が運行を再開している。
8月10日
大阪から来たカメラマン宮武甫が被爆の惨状を撮影する。
8月14日
御前会議においてポツダム宣言受諾が決定され、日本政府は連合国に受諾を伝える。
8月15日
終戦の詔勅(玉音放送)。国民への終戦の告知。玉音放送の中で原爆について取り上げ、非人道的行為として非難している。
8月28日
連合国占領軍上陸。

終戦とGHQ/SCAP支配により、軍は武装解除し、兵の復員が開始された。広島の被爆者救護を担ってきた暁部隊も解体し、救護活動は自治体に移管された。しかし戦時災害保護法(1942制定)の規定により救護期限は2ヶ月と定められていたため、10月上旬に救護所は閉鎖されてしまう。

9月2日
各国政府代表がポツダム宣言に調印。
!さよなら原発!

戦後

9月8日
米国による原爆災害調査が開始される。活動は1947年発足の原爆傷害調査委員会(ABCC)の母体、また後の放射線影響研究所となる。
9月19日
朝日新聞派遣のカメラマン松本榮一が被害の様子を撮影する。
9月19日
GHQ/SCAPよりプレスコード発令。原爆被害に関する報道は禁止される。
9月下旬
日本映画社により原爆被害の撮影が開始される。撮影は中途から米軍の管理下となる。映像は1946年(昭和21年)4月に"The Effects of the Atomic Bomb on Hiroshima and Nagasaki"として完成後、フィルムを米軍に没収された。
9月17日
被爆で壊滅状態の広島を枕崎台風(昭和の三大台風の一つ)が襲った。広島県の死者・行方不明者合計は2000名を超える大惨事となっている。
1946年1月
広島市復興局が開設。しかし資金難により復興進まず。
1948年10月
広島流川教会の牧師谷本清が渡米。15ヶ月間に渡り31州256都市で広島の惨状を訴える講演活動を行う。
1949年8月6日
広島平和記念都市建設法が制定。復興への前進となる。9月、広島市中央公民館に原爆参考資料陳列室が設置され、原爆瓦等の展示が始められる。
1951年、広島原爆傷害者更生会結成。
100m道路が平和大通りと名付けられる。この時点では単なる「荒れた広野」状態だった。
1954年
爆心地周辺が広島平和記念公園として整備。
1954年2月28日
アメリカがビキニ環礁ナム島で水爆実験『キャッスルブラボー』作戦を行い、日本の漁船第五福竜丸等が被曝した。原水爆禁止運動が起こる。
1955年
平和記念資料館が開設。第1回原水爆禁止世界大会開催。原爆乙女らが最長1年半に渡り滞米、マウントサイナイ病院においてケロイドの治療を受ける。
1956年
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成。援護法要望運動の開始。
1957年
原爆被爆者の医療等に関する法律(原爆医療法)が制定されたが、極めて限定的な内容。
1958年4月
広島復興大博覧会が開催される。原爆症で死亡した佐々木禎子をモデルにした原爆の子の像が平和記念公園内に完成。
1960年
原爆医療法の改正。
1963年
東京地方裁判所が「原爆投下は当時の国際法に違反する」旨の判決。
1968年
原爆被爆者に対する特別措置に関する法律(被爆者特別措置法)が制定。
1975年10月31日
昭和天皇が、「この、原子爆弾が、投下されたことに対しては、遺憾には思ってますが、こういう、戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと、わたくしは思ってます。」と答えられた。
1985年8月
中国共産党代表が広島平和記念公園で花輪を贈呈、人民日報が広島原爆を米帝の暴行として批判した。
1992年9月
広島市議会で原爆ドームの世界遺産リスト登録を求める意見書が採択。
1993年
原爆ドームの世界遺産化をすすめる会が発足。全国で165万人の署名を集め、国会請願を行う。
1994年
被爆者念願の被爆者援護法が戦後50年でようやく制定。
1995年6月
原爆ドームが文化財保護法の国の史跡に指定される。
1996年12月
原爆ドームが負の遺産としてユネスコの世界遺産に登録。
1999年
爆心地に近い袋町小学校の校舎の建て替え工事にあたる壁の検査をしていたとき、壁が剥がれ落ち、そこに文字が発見された。それは被爆後、この校舎は鉄筋で立てられていたため校舎は焼け残り、被爆して怪我をした人の救援所になっており、そこにこの学校の教師が児童の安否を調べるために壁にチョークで伝言を書いたものだったと調査で分かった
2002年
被爆者を追悼する国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が開館。
2010年8月6日
平和祈念式典に初めて米国公式代表(ジョン・ルース駐日大使)が参列。献花なし。大使館を通じて未来のため、核兵器廃絶に向けて努力する旨のコメントが出される。一方、菅直人内閣総理大臣は同日、核拡散の現状における核抑止力を肯定。
NO NUKES!!!!