原爆の火

ようやくといったところか、ここからは実話として語り継がれている話をお伝えしましょう。映画『GATE』の題材となった『原爆の火』、これは即ち広島でその火を、日本の福岡県は南東の、大分との県境にある小さな村『星野村』が全ての始まりとなっている。ここに火を持って帰ったのは『山本達雄』さんという一人の男性だった。この物語は、あの広島での絶望の日までに遡ることになる。

広島で見た地獄

星の村で生まれ過ごした山本さんはその日、三度目の召集令状を受けて、当時広島から130kmほど東に離れた豊田軍大乗村の陸軍野営部隊で任務に就いていた。運命の朝、山本さんはいつもどおりに広島近くの宇品にあった本隊に向かうために汽車に乗っていた。8時15分、突然社内には白い光がすり抜けていき、直後に大地を揺り動かす大きな振動を共に、巨大な爆音が響き渡る。

止まったまま動き出さない社内から彼が見たものは、巨だなキノコ雲が立ち上がっている広島が眼球に映し出されていた。乗客は何が起こったのかと大混乱に陥ってしまい、山本さんも訳が分からないまま、広島方向へと歩き始めた。市内には叔父が疎開をせずに町内会長として留まっていたこともあって安否が気がかりであった。徐々にしないに近づいていくにつれて、彼が見たものは地獄そのものだった。男女と見分けもつけることの出来ない死体の山、よろよろと体力なく逃げ惑う人々など、あちこちから断末魔の叫びが木霊する中で広島は、巨大な火柱に包まれるように燃え続けていた。山本さんは動く、いや動けるはずはなかった。この世の者とは思えない光景を目の当たりにして、救助活動に当たろうなどと思うはずもこのときの彼にはなかった。翌日、山本さんが所属している部隊に、広島で転がっている死体を集めて焼いていくという重い任務が課されることになる。それから戦争終結まで時間はかからなかった。

!さよなら原発!

原爆の火、持ち帰る

戦争終了後から半月後、復員命令が出た山本さんは、父親代わりに自分を育て、息子同然に可愛がってもらった叔父の行方をずっと追っていた。だが見つかるわけはないという思いもあったために悲痛な決意の元、広島へと帰郷前に訪れ、叔父に最後の別れを告げるために赴いた。全てを失った広島の参上の中、懸命に叔父を探すも手がかりさえ見つからないまま、やがて遺骨代わりに何かないかと押しつぶされていた地下壕を掘り起こしてみると、そこには未だにくすぶり続けていた小さな炎を見つける。その炎を見た瞬間、何か特別な思いに駆られた山本さんは祖母がいつか渡してくれたカイロの事を思い出して、奉公袋から取り出して、カイロ灰に火を灯して星野村に持ち帰った、1945年9月16日のことだった。

その後故郷に無事帰った山本さんは持ち帰った火を仏壇に灯して、その火を消さないようにと囲炉裏や火鉢などに移すなどして、それから23年間、雨の日・風の日であろうとも消すことなく、そしてその火が隣家に知られることなく、家族総出で守り続けていた。長い歳月が過ぎた頃、山本さんにとって決してこの時間は生易しいものではなかった。言葉で表現できるはずもない広島の地獄、そして原爆投下国に対するどうしようもない憤り、あの日を忘れてはいけないとして灯し続けている火、全てが彼にとって負担になっているのは言うまでもなかった。

一時は苦しい胸中を晴らすために、その日をハワイ上空で消そうとも考えたが、あの悲惨な死に方をした何十万人という人々の気持ちを忘れてはいけないという思いもあいまって、消すことはできなかった。誰にもその胸中を話すことが出来ないまま20年以上過ぎた1966年、その時たまたま取材で訪れていたある新聞記者が、汗ばむ季節だというのに日を焚いている山本さん一家のことに気がつく。不審に思った貴社は思い切ってそのことを尋ねると、山本さんは今まで積年の思いで募るに募っていた思いをその記者に全てを吐き出すのであった。この瞬間、初めて『原爆の火』というものがこの世に存在していることが明らかになるのであった。

火はやがて村から世界へ

この嘘とも言えるような事実に話は徐々に広まっていき、当時の星野村の村長の耳にまで入ることになった。やがて前村民の意向の元、火は平和を願う供養の灯、世界の平和の道しるべとして永遠に灯し続けるために、星野村に正式に引き継がれるのであった。

1968年8月6日、原爆の残り火は山本さんの家から星野村役場前に建立された『平和の塔』に無事移されることになった。この日を境に火は、山本さん一家のものでしかなかった灯が、平和への近いとしての火として、村、そして世界の火へとなる。これ以降、星野村では毎年8月6日には平和式典を開催し続けている。1988年にはニューヨークの国連本部で開催された国連軍縮特別総会に向けた平和の火リレーにも用いられることになるのであった。

被爆50周年を迎えた1995年3月には『星のふるさと公園』の一角に、新しい平和の塔が建立され、福岡県被爆者団体協議会による『原爆死没者慰霊の碑』と共に『平和の広場』として整備されることになる。緑溢れる山間を見渡す小高い岡の上、さわやかな風と時折聞こえてくる、鳥のさえずりに包まれた広場に立つ高さ5mの『平和の塔』の最上部、そこで火は無限とも思えるエネルギーを放ちながら燃え続けていた。平和の塔の石を基調としてシンプルな三角形の形態は、自然に人を祈りへと誘う力を秘めているような佇まいを発揮している。モニュメント制作を行った彫刻家の横沢栄一さんは『時とともに戦争反対への意味を深めていける存在になってくれればという願いを込めて、 何次元にでも広がるデザインにしました』と語っている。塔の前には命の象徴でもある水をたたえた水盤が置かれている。

NO NUKES!!!!

永遠のメッセージ

戦後、ふるさと星野村でずっと農業を営んでいた山本さんは、原爆の後遺症で見も心も筆舌に尽くせない苦しみを味わっていた。農作業の合間、遠くの山々を見つめながら今までの日々に対して感無量の表情を浮かべていた。

山本さんは『村が火を大切に維持してくれているのでうれしい。 火を通して少しでも平和について考えてもらえれば』とも語っている他、『今や原爆さえおもちゃのようになっている恐ろしい時代です。人間同士が殺し合うようなやぼなことはもうやめてほしい。人間はみんな同じ。肌の色の違いなんて関係ないでしょう』と話している。当時の惨状を目の当たりにしている人間の言葉だけあって、非常に重みある言葉だ。彼がいなければ映画を作ることも出来なかったのはもちろんのこと、こうして平和を訴えるための、そして忘れてはいけないあの悲劇を覚えておくための大切な象徴として、これからも燃え続けていくのだろう。